Rover Crew, 5th Setagaya

Rover Advisor's Essays

Apr. 2017:B-Pとシャーロック・ホームズ,そしてアインシュタイン ―観察と推論―(第2回/全8回)

3. 「みる」こと

前回,ホームズの紹介などを通してB-Pが観察と推論の重要性を強調したことを簡単に示しました.次に,「観察」についてもう少し深く考えてみましょう(「推論」についても後に深く考えます).

観察とは「見る」ことです.葉っぱを見る.テレビを見る.事件現場を見る.見ることによって,私たちはこの世界の様子や出来事を把握します.

では,同じモノや同じコトを見れば,誰でも同じように世界を把握できるでしょうか?

そんなことはありません.同じモノ・コトを見ても,人によってそこから得られる情報は違ってきます.

例えば追跡記号(trail sign)を考えてみましょう.

ボーイスカウト経験の有る人と無い人がいたとします.石で作られた同じ追跡記号を見たとき,スカウト経験者はそこから進むべき道や目的地までの距離などを把握できます.他方スカウト未経験者はそれを見てもただの石ころか,または変わった石ぐらいにしか思わないでしょう.あるいは,そもそもスカウト未経験者はその追跡記号に気付くことすら出来ないかもしれません.

このような例は無数にあります.

鳥や植物の名前を知識としてたくさん知っている人は,知っていない人に比べて自然を見たときの見え方がずっと豊かであるはずです.

薬草の見た目と効能を知っていれば,野外で怪我したときに役立ちます.知らない人は,怪我をしたときに薬草を見ても役立てられません(薬草だと認識することすら出来ません).

映画に詳しい人は,詳しくない人に比べて映画を見たときに多様な楽しみ方をすることが出来ます.もっと言えば,普通の人が気付かないような映画の細部に気付くことが出来ます.だとすれば,同じ映画を「見よう」としても実際に「見た」ものは随分違ってくるはずです.

映画のような芸術作品の場合,知識量によって「見る」の中身の濃さが変わってきます.このような場合の「みる」を「観る」と書くことがあります.「観賞」あるいは「鑑賞」と言ったりもします.また,芸術作品を豊かに観るために必要な能力を「鑑賞眼」と呼んだりします.

鑑賞眼という言葉が意味しているのは,芸術作品についての知識が有る人と無い人とでは,もはや持っている「眼」自体が違うのだ,ということです.持っている眼が違うのだから,当然同じ作品を見たとしても違う風に観えるわけです.

再びホームズの例を考えましょう.

ホームズは,ワトスン(普通の人の代表)が見ても何も感じない事件現場を「観る」ことで,事件の手がかりを発見します.それは,ホームズの持っている豊富な知識によって可能になります.このように,持てる知識を総動員しながら対象を徹底的にみることを「観察」と呼ぶのです.

これは,芸術における鑑賞に似ています.鑑賞眼に対応して「観察眼」という言葉もあります.ホームズはワトスンには無い鋭い観察眼を持っているわけです.

さて,以上のようにして「観察」について考えてみると,あることに気付きます.

観察(あるいは鑑賞)は知識に依ってその豊かさが変わる.ということは,観察の前にまず知識があるということになります.

しかし他方では観察に依って知識を得るということを考えると,知識は観察の後にもあるはずです.

観察と知識がぐるぐる回っているわけです.

このようなことは,哲学の世界では「観察の理論負荷性」と呼ばれています.その中身を詳しく説明することはここではしませんが,観察というものは理論(知識)抜きには成り立たないということだけ分かって欲しい.

先々月のさくら2017年2月号の言葉を使えば,観察という実践には理論が必ず付きまとうということです.理論を知ることで良い観察が出来る,ということを単に言っているだけではありません.そもそも原理的に,観察(実践)は知識(理論)に依存しているということが重要です.

逆に言えば,知識抜きの純粋な「観察」というのはあり得ません.まっさらな状態で世界を「見る」こと,これを「感覚所与」とか「センスデータ」とか言ったりもしますが,そういうものは無いんですね(ここら辺の哲学議論は近年になっても続いています.気になるスカウトは勉強会等で訊いてください).

つまり,ホームズが事件現場を観察するときや,ズールー族あるいはB-Pが自然を観察するとき,さらには映画好きが映画を鑑賞するとき,実は知識「によって」観ているのです.

もう1つ身近な例を挙げましょう.

「みる」の漢字として医の世界では「診る」や「看る」が使われます.それぞれ,医者が「診断する」とき,および看護師が「看護する」とき,これらの字を使います.もちろん,「診る」あるいは「看る」ときにも知識がセットになっていることは言うまでもありません.

2017年1月のBSスキー訓練2日目の朝,参加していたベンチャースカウトのI君がスキー中に足を痛めたので我々リーダーのところに来ました.今回のスキーには幸いなことに三園CS副長が来てくれていたため,適切な診断を下してもらえました.三園CS副長は接骨院のお仕事をされているのです.

そのときの怪我は,見た目にはそれほど腫れていたわけではないので,素人がパッと「見た」だけでは良く分かりません.足が折れて変な方向に曲がっていれば,誰でも「見る」だけでおかしなことには気付けるでしょうが,そうでは無かったのです.

三園CS副長は患部を眼で観ながら,手で触ったりちょっと足を曲げてみて痛いかどうかI君に訊いたりすることで,怪我を「診た」のでした.このようなことが出来るのは,人体の構造や骨や筋肉についての知識を三園CS副長が持っていたからです.

以上で挙げた例以外でも,「みる」ことのプロフェッショナルはたくさんいます.スポーツ選手はどうでしょうか? 料理人は? ミュージシャンは? 株のトレーダーはどうでしょうか? 法律家は?

こうして挙げてみると,プロフェッショナルとはある種の「みる」能力を高めた人だと言うことも出来そうです.B-Pがなぜ「観察」をスカウトの高めるべき能力として重要視したのか,こう考えてみるとよく分かるのではないでしょうか.

4. 科学者にとっての「みる」ことと「はかる」こと

さて,探偵や斥候や映画好きや医者が,観察したり鑑賞したり診断したりするときにどうやって対象を「みて」いるのか大体分かったところで,もう1つ観ることについてのプロフェッショナルの例を紹介したいと思います.それは,科学者です.

すでにホームズが科学捜査の先人だと紹介した時点で予告されていましたが,科学において観察はとても重要です.

近代的な科学はアイザック・ニュートンの17世紀の活躍に始まりますが,ニュートンは木から落ちるりんごや空に浮かぶ月や星の動きを良く観察し,さらに,深く推論することによって,運動の理論(ニュートン力学)および重力理論を発見しました.ただしニュートンの偉大な発見は,それ以前のニコラウス・コペルニクス,ティコ・ブラーエ,ガリレオ・ガリレイ,ヨハネス・ケプラーらの業績があってこそのものです.

特にブラーエは観察の天才でした.彼は望遠鏡がまだ無い時代に,肉眼による(!)恐るべき精度の膨大な天体観測の記録を残したのです.後,ケプラーがブラーエの天体観測の記録を分析し,ケプラーの3法則にまとめました.そしてその法則に対してさらに推論を加えようとしたことが,ニュートンの発見につながっていったのです.

そう,ニュートンは深く推論したのです.彼は観察の天才である以上に,推論の天才でした.

運動と重力についての理論を発見する過程において,ニュートンの頭の中で実際に起こっていたことは,観察と推論(と知識)が入り混じった試行錯誤であったはずです.さもなければ,自然を見渡した時に得られる情報は多すぎるため,ニュートンは理論を作る(発見する)上で何が重要で何が重要でないか分からず,パニックになってしまったでしょう.

これはホームズの場合も同じです.事件現場にある様々な情報の中から重要なものと重要でないものとを区別するためには,観察と同時に推論を行わなければいけないはずです.つまり,観察の後に推論あるいは推理が始まるのではなく,観察する時点で推論あるいは推理もまた始まっているのです.

推論が観察に影響を与えながら試行錯誤がなされている状態を「推察」と呼んでも良いでしょう.「推し察る(おしはかる)」とも言います.良き科学者,良き探偵,良き鑑賞者,そして良きスカウトとは,それぞれの舞台で適切に推察できる存在であると言うことができます.

科学者が自然について推察を行うための素晴らしい方法として「実験」があります.

科学の舞台(対象)は自然なので(このことをハッキリさせるために「自然科学」と言うこともあります),科学者は自然の中で起こっている月の満ち欠けや天体の運動や虹の現象などを良く観察してさえいればそれで良さそうに思われます.実際,コペルニクス,ブラーエ,ガリレオ,ケプラー,そしてニュートンもそうしました(ガリレオ,ケプラー,ニュートンの3人は,それぞれガリレオ式,ケプラー式,ニュートン式と呼ばれる望遠鏡を発明しています).

しかし,自然で起こることには様々なノイズ(邪魔)がつきものです.

りんごが木から落ちる現象を例にとると,風や空気抵抗の影響がノイズになり得ます.あるいは,落ちるスピードが速すぎるため,時間を計って落ちる様子を記録することが難しいかもしれません.これもノイズです.

そこで,科学者たちはそのようなノイズをなるべく取り除いた状態を人工的に用意し,その状態で「自然に」起こることを観察します.これが実験です.こうすることで,ノイズに悩まされることなく,上手に観察することが出来るのです.

例えばガリレオは,傾斜角度を変えられる坂を工作し,球をそこで転がしてその様子を観察しました.坂の傾斜角度を小さくすることで,球の転がるスピードを遅くできるので,りんごが木から落ちるスピードが速すぎる,という問題を解決できたのです.

ただし,1つ重要なことを見落としてはいけません.いったい何がノイズで何がノイズでないか自体が,実験をする時点で分かっていないことが多いということです.

先ほど,ホームズが事件現場の情報の中から重要なものと重要でないものとを区別するためには,推察が必要だと言いました.

実験におけるノイズもこれと同じです.もっと言えば,何がノイズで何がノイズでないか,何が重要で何が重要でないかを決定すること自体が実験の目的なのです.

もしある実験が上手くいかなかったとしたら,科学者は実験条件や実験装置を変更して再チャレンジします.あるいは失敗した理由を考えます.実験におけるこのような変更や試行錯誤そのものが,推察の役割を果たしているのです.

「失敗は成功の母」という言葉が意味しているのは,大体においてここに書いたようなことだと思います.

実験は,事件捜査でも行われます.再現実験と言います.事件(や事故)当時の状況を再現して,その時その場所で何が起きたのかを推察するのです.

例えばシドニー・ルメット監督の映画『十二人の怒れる男』や周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』では,再現実験による事件の真相の推察シーンが出てきます.もちろん,ホームズや『名探偵コナン』にもこのようなシーンはたくさん出てきますね.

再現実験のとき,どこまで本物の事件を再現するべきか? 被害者や容疑者の身長・体重は再現するべきか? 着ていた服の色は? 当日の天気は? 時間は? こういったことを試行錯誤して,「容疑者の身長がトリックにとって決定的に重要だ」ということが分かったならば,それはすなわち事件の謎が解けたのと等しい場合が多いわけです.

科学にとって観察や実験が重要であることを説明してきました.それでは,観察や実験によって科学者が情報を得るとき,具体的には何をやっているのでしょうか?

ひとことで言えば,それは「はかる」ことです.

「はかる」には「みる」と同様,色々な漢字があります.測る,計る,量る,図る… 先ほども出てきたように,「察る」とも書きます.これらの中で,科学にとって特に重要なのは「測る」です.

時間や長さや重さなど,科学では様々なものを測ります.少し堅苦しく「測定」とも言います.また,測定のための装置は,測定装置とか実験装置などと呼ばれます.

(自然)科学者たちの多くは,測定装置を用いて自然現象を測定することで実験を行い,観察力と推論力(および知識)を総動員して自然の背後に潜む自然法則(law of nature)を推察し検証するのです.この営みには,さくら2017年2月号で書いた理論と実践の問題が複雑に絡み合って存在していることが分かると思います.

測定という行為の中でも,観察に重きを置いた測定のことを「観測」と言います.観測の中でもっともポピュラーなのは天体観測です.

天体観測は,望遠鏡という観測装置を用いて行います.先ほど述べた通り,ガリレオ,ケプラー,そしてニュートンはそれぞれガリレオ式,ケプラー式,ニュートン式と呼ばれる望遠鏡を発明しています.望遠鏡の種類には他にも色々なものがあるので,インターネット等で調べてみると面白いと思います.

ボーイ隊では,1年に1回三鷹の国立天文台で行われる観望会に参加していますが,そこで体験できる望遠鏡はカセグレン式です.せっかくの観測という実践の場ですから,それまでに,スカウトハンドブックや学校の教科書,あるいは『Scouting for Boys』を読んで天体や望遠用についての理論を学んでおくと良いですね.

(つづく)

ローバー隊隊長 渡口要