Rover Crew, 5th Setagaya

Rover Advisor's Essays

Aug. 2017:B-Pとシャーロック・ホームズ,そしてアインシュタイン ―観察と推論―(第6回/全8回)

8. ニュートンと数理物理学(=数学+物理学?)

先々月のさくら6月号6. 論理=演繹=推論と幾何学と,先月のさくら7月号7. 数学の自由は数学の話でした.少し難しかったと思いますし,B-Pとホームズとアインシュタインの話がこれとどのように関係するのか分からなくなったスカウトが多いと思うので,この2つのエッセイで言いたかったことを一旦整理したいと思います.

数学における証明と公理の関係は,ホームズにおける推論と証拠(を得るための観察)の関係に似ています.

さくら4月号4. 科学者にとっての「みる」ことと「はかる」ことで述べた通り,ホームズにおいては「推論が観察に影響を与えながら試行錯誤がなされている」,すなわち「推察」が行われているのでした.直感的には

観察→推論
という順番になってそうですが,実際にはこの2つはほぼ同時に,あるいは極端に言えば
推論→観察
という順番で行われているとも言えるのでした.

すなわち,「観察が推論を支えている」と同時に,「推論が観察を支えている」ということでもあるのです.

このことと同様に,数学についても直感的には

公理→証明
という順番になってそうですが,実際には,定理を次々に証明していって数学体系を構築しても矛盾が発生しないことが,ある1パッケージの公理を採用するときの条件であるという意味で,
証明→公理
という順番になっているとも言えます.

「公理が証明の出発点である」と同時に,「証明(による矛盾が無いことのチェック)が公理を支えている」と考えても良いのです.

さくら6月号6. 論理=演繹=推論と幾何学では,数学と数学における証明(論理=演繹=推論)の確からしさについて述べました.

そこでは,「スカウトの皆がこの演繹(≒三段論法)を一番「きっちり」実践するのはどのようなときでしょうか? おそらく多くのスカウトにとって,それは算数・数学の問題を解くときだと思います」と書きましたが,別に中学生のスカウトに限らず,論理=演繹=推論をもっとも厳密・純粋に行うのは数学だと言って良いでしょう.

さくら7月号7. 数学の自由では,証明(論理=演繹=推論)による矛盾が無いことのチェックの下で,公理を自由に選べるという数学の特徴を述べました.

数学における証明(論理=演繹=推論)の純粋さが故に,数学者は想像力を働かせて自由に公理を選ぶことが出来るのです.

証明→公理
という順番は,言葉を補えば
証明(の純粋さ・厳密さ)→公理(を選ぶときに常識に囚われることなく想像力を働かせる自由さ)
ということを意味しています.そして,ホームズが推論(deduction)を数学における演繹(deduction)のようにおこなったとすれば,それは
推論(の純粋さ・厳密さ)→観察(する対象を選ぶときに常識に囚われることなく想像力を働かせる自由さ)
ということを目指したからだと考えられます.

それはすなわち,「自由な推理」・「柔軟で豊かな想像力を発揮する推理」を可能にするためにこそ,推論は数学における証明のように厳密かつ純粋である必要があることを意味しています.

先月・先々月の2つのエッセイで示された「数学(の証明)の厳密さ」と「数学(の公理選択)の自由さ」は,前者が後者を支える関係になっている.

同様に,ホームズにおいても「推論の厳密さ」が「観察(あるいは推理)の自由さ」を支えている.

そして,このような「厳密さが自由さを支える」という数学(あるいは推理)の特徴を存分に活かしたのが,ニュートンなのです.

だいぶ数学に回り道しましたが,再びニュートンに戻りましょう.物理学の話です.

既に記した通り,ニュートンは推論の天才でした.そして,ニュートンは物理学者であったとも言いました.さらに,物理学と他の科学の違いの1つは,数学が果たす役割が決定的に大きいことだと述べました.

何が言いたいのか,もう分かると思います.ニュートンはその推論の大きな部分を,数学によって行ったのです.

彼は,物理学者であると同時に数学者でもありました.

ニュートンは,一方ではりんごが木から落ちるところを観察し,他方では月が地球のまわりを回る様子を観察しました.これら2つの現象が実は同じ法則(ニュートンの運動の理論と重力理論)で説明されることを,ニュートンは数学を使って示したのです(このことは,2016年3月号のさくらにも書きました).

いや,既にある数学を単に使っただけではありません.ニュートンは,自分が考えた物理理論を上手く表現する数学を自ら開発したのです.

それは,現代では「微積分学」と呼ばれています.高校生以上のスカウトは学校で習いましたね.あの微分と積分は,ニュートンがりんごや月の動きを上手く表現したり計算したりするために編み出したものなのです(ただし,ニュートンだけが微積分学の創始者というわけではありません.微積分学成立の歴史についてここでは詳細は省きますが,少なくともゴットフリート・ライプニッツも微積分学を確立した1人とみなされています).

冒頭の整理を使えば,ニュートンは数学という厳密なツールを自在に使い,さらには開発したからこそ,柔軟で豊かな想像力を発揮してりんごや月の動きを観察することができたと言えます.

そしてそれはニュートンに自由な発想を可能にさせ,運動の理論と重力理論という自然界の法則,数学で言うところの公理,を発見するに至らせました.

さくら5月号5. 「はかる」ことによって「みる」にならえば,数学は世界を観るための目の1つです.つまり,ニュートンは世界の中に数学を見た,あるいは,数学によって世界を観たのです.

ニュートンが自身の物理学的仕事をまとめた本が,かの有名な『プリンキピア』です.正式には"Philosophia Naturalis Principia Mathematica"で,日本語訳は『自然哲学の数学的諸原理』です.

このタイトルから明らかなように,ニュートンは自然の背後に隠された「数学的」原理を見抜きました(ただし,この本の中でニュートンは微積分学を使っていません.現代の我々にとっては驚くべきことですが,ニュートンはユークリッド幾何学だけを使って理論を展開しています.それには,当時ユークリッド幾何学に比べて微積分学がまともだとみなされていなかったという事情があります).

逆に言えば,自然は数学によって理解できてしまうように出来ている,という確信が物理学者の間にはあります.ガリレオの有名な言葉に

「自然という書物は数学の言葉で書かれている」
がありますが,ニュートンの発見から300年間の物理学の発展が,このガリレオの言葉の正しさを示し続けています.

自然が数学で理解できてしまう.

これはとてつもなく不思議なことです.その具体例を1つ挙げましょう.

高校生以上のスカウトは物理の授業で「放物運動」について習うと思います.放物線とは読んで字のごとく物を放り投げたときの軌跡が描く線です.例えば野球のボールが飛んでいくときの軌跡を思い浮かべれば良いでしょう.このような運動のことを放物運動と呼ぶわけですが,さてこの放物線はどのような数式で表されるか?

答えは数学で習った2次関数です.野球のボールだろうと大砲の弾だろうと,「放り投げた物」は2次関数の軌跡を描いて運動するのです.学校でなんとなく「ふーん」と思って聞いているかもしれませんが,これはよくよく考えると不思議だと思えませんか?

放物運動は簡単な例ですが,物理学で扱うこの世の多くの運動や現象は,何かしらの数式で見事に表せてしまうのです.この事実はあまりに不思議なので,ほとんど不気味と言っても良いくらいです.

この不思議さ・不気味さに魅せられて,自然の中の数学的構造を研究することに力を注いでいる物理学者を,特に「数理物理学者」と呼びます.数理物理学者は,推論の道具として数学を使いこなしたり発明したりします.

つまり,正確に言えばニュートンは数理物理学者だったのです.

「数理」というのは面白い言葉です.数理物理学の英語は"mathematical physics"です."mathematical"は「数学的な」,"physics"は「物理学」なので,「数理物理学」における形容詞としての「数理」は「数学的な(mathematical)」くらいの意味ですが,「数理」という怪しげな雰囲気の言葉を"mathematical"の翻訳に当てているのは面白い.

もちろん,今の文脈では「推理」に似ていることが重要です.「推理」が「真理を推しはかること」という意味なのに対して,名詞としての「数理」は「数学的な真理・原理」という意味ですが,もっと言えば「数学的に推理すること」というニュアンスが「数理」にはあるのです.

数学的に推理するとはどういうことか?

それが,まさにニュートンがやったことです.先ほど述べた通り,数学を推論の道具として使いこなし,豊かな想像力・自由な発想力で物理理論を作ったのです.

…嘘です.

いや,少なくとも正確ではありません.

ニュートンは数学を単に推論の「道具」として使ったから天才的数理物理学者と呼ばれたのではありません.自然の中に「宿る」数学的構造を見抜き,自然の中に「潜む」微積分学を取り出し,そのようにして自然を数学的に観察し推論したからこその天才数理物理学者なのです.

そのようなことが可能になるのは,ニュートンが天才であることだけでなく,自然が数学を「宿している」という神秘があってこそです.すなわち,既に紹介したガリレオの「自然という書物は数学の言葉で書かれている」という言葉よりもさらに深いレベルで,自然と数学が結びついているのです.

「自然という書物は数学の言葉で書かれている」と言われると,例えば「『吾輩は猫である』は日本語で書かれている」における「日本語」と同じような意味で数学が使われていると感じられます.しかしそれならば,『吾輩は猫である』が英語に翻訳されてもいいように,自然の書物も数学以外の言葉に翻訳されていいはずです.実際ある程度は,自然の書物すなわち物理学を数学ではなく日常言語で表現することが出来ます.

しかし,全部は無理なのです.物理学をきちんと学ばないとこの感覚はなかなか分からないのですが,物理学においては数学が単なる言語(道具)としてではなく,もっと本質的な意味で重要な役割を果たしています.この感覚を,先ほどは自然の中に数学が「宿っている」と表現しました.

自然がこういう風になっているのは何故なのか,重ね重ね言いますが本当に不思議なことなのです.

9. アインシュタインの思考実験と美意識

さて,ここまで来て,ようやく最大の重要人物を紹介できます.このエッセイのメインタイトルは『B-Pとシャーロック・ホームズ,そしてアインシュタイン』でした.最大の重要人物とは,「天才」の代名詞的存在と言ってよいでしょう,アルベルト・アインシュタインです.

アインシュタインは,物理学のあらゆる分野でノーベル賞級の仕事をしました.特殊相対性理論や一般相対性理論が最も有名ですが,統計物理学の基礎を築いたり(ブラウン運動の研究による揺動散逸定理の提唱),量子力学の基礎を築いたり(光電効果の研究による光量子仮説の提唱),レーザの理論的基礎を築いたり(誘導放射の研究),他にもボース=アインシュタイン凝縮やらアインシュタイン比熱やら,とにかくたくさんの超一流の業績があります.実際にノーベル物理学賞を受賞したのは光電効果の研究に対してですが,ノーベル物理学賞を4つや5つは貰っていてもおかしくありませんでした.

アインシュタインはニュートンと同じ数理物理学者です.したがって,アインシュタインが世紀の天才と呼ばれる能力的な理由も,ニュートンが天才である能力的な理由と大体において同じです.つまりアインシュタインもまた,実験データを観察し,何が本質的に重要であるかを数学を使って,あるいは数学的思考によって推論しました.自然現象の真実を数理的に推理したのです.

他方,生きた時代が200年も離れているニュートンとアインシュタインを比較することには慎重にならなければなりませんが,アインシュタインにおいて特に際立っていて,ここで取り上げるのが適切と思われる特徴として以下の2つが挙げられます.

  • a. 思考実験(空想実験)による観察と推論
  • b. 物理的な美に対する感受性

どういうことでしょうか?

a. 思考実験(空想実験)による観察と推論

アインシュタインは思考実験(空想実験)の達人でした.

思考実験とは,現実の実験道具を使って実際に実験を行うのではなく,頭の中で実験を行うことです.しかしこれは奇妙に聞こえるかもしれません.

実験とは自然がどのようになっているかを人間が観察するために行うものなのだから,人間が人間の頭の中だけで実験を行っても,それが本当に正しい自然の姿かどうかなんて分からない.

逆に言えば,人間が既に知っている自然の正しい姿に基づいて頭の中で実際の実験を「再現」したとしても,それは既に知っていることの繰り返しに過ぎない.いずれにせよ,思考実験など意味がないのではないか? というわけです.

このような思考実験への批判は,ひとまずは正しい感覚と言って良いでしょう.思考実験は,実験の目的が純粋な観察である限りは意味がありません.

でもちょっと待ってください.

さくら4月号3. 「みる」ことで述べたように,純粋な観察(センスデータ)というのはあり得ないのではなかったか?

そう,ホームズが事件現場を観察するとき,その観察は理論(知識)が無ければそもそも成り立たないということを既に指摘しました.それは「観察の理論負荷性」などと呼ばれているのでした.

別の言い方をすれば,8. ニュートンと数理物理学(=数学+物理学?)の冒頭でも整理した通り,ホームズは事件を推理するとき,事件現場を観察した後に推論を開始するのではなく観察と推論を常に同時に行っているのでした.また,このような行為を推察と呼ぶのでした.

以上のことを思い出せば,アインシュタインの思考実験の意味は明らかです.思考実験と言いつつアインシュタインがそこで行っているのは,観察と推論の入り混じった推理なのです.

あるいは,実験とは科学者が自然について推察を行うための方法だったことを思い出すと,アインシュタインは推察を,それも観察と推論のバランスを推論の方に強く寄せた推察を,行なっていたとも言えます.ちょうど,ホームズが頭の中で犯人の行動を想像し再現することによって推理を行うのと同じように.

アインシュタインは確かに思考実験を良く行いましたが,アインシュタインだけが思考実験を行っていたわけではありません.ニュートンも,りんごが木から落ちる現象と,りんごよりもずっと上空に浮かんでいる月が落ちてこない現象とを,いかにして同じ法則で矛盾なく説明するか考えるために思考実験を行いました.

しかしアインシュタインの思考実験は,他に比べてはるかに自由でした.

例えばアインシュタインは,光と同じ速度で自分が動いているとして,そのときに光がどのように見えるかについて思考実験しました.走っている車と同じ速度で我々が動いているとして,その車を横から見れば止まって見えますね(例えば走っている車の窓から隣の車を見たとき,2つの車の速度が同じであれば隣の車は止まって見えます).光も車と同じだとすれば,光も止まって見えるはずです.

ところが,アインシュタインはそう考えませんでした.我々が光と同じ速度で動いているとしても,隣の光は止まらないのです.いやそれどころか,我々が止まっているときに見た光と何ら変わらない振る舞いをするのです.

不思議ですね? これが特殊相対性理論の入り口です.

アインシュタインが特殊相対性理論の論文を発表したのは1905年,B-Pが『Scouting for Boys』の連載第1回を発表した1年前です.今ではたくさんの解説書がありますし,中学生レベルの数学の知識があればかなりの部分理解できるので,是非勉強してみてください.

アインシュタインの「光の速度で動いている自分が光を見たら止まって見えるか?」という思考実験を紹介しましたが,これがいかに自由で(現実には光の速度で移動することはおろか,光に近い速度で移動することも全く出来ません),そして単なる観察からかけ離れているか(実際に光を見るわけでは無い),よく分かると思います.

しかしなぜアインシュタインはこのような思考実験が出来たのか? あるいはこのような思考実験をやろうと思ったのか? それは,アインシュタインの2つ目の特徴に理由があります.

b. 物理的な美に対する感受性

「物理的な美」というものがあります.詳しくは省略せざるを得ませんが,アインシュタインが考えた物理的な美について簡単かつ乱暴に言えば,それは「物理法則を表現する数式が美しいこと」です.もう少し言うと,「物理に出てくる複数の量が数式上で同じように扱えること」です.

例えば特殊相対性理論においては,時間(time)と空間(space)を同じように扱うことが出来ます.ですから,時間と空間を合わせた「時空(spacetime)」という言葉が作られました.空間は縦・横・高さの3次元なので,時間の1次元と合わせて「4次元」などと言ったりもします.藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』に出てくる「4次元ポケット」はここから来ています.

「物理法則は(数式として)美しくなければならない」という思いは,アインシュタインにとって非常に強い動機の1つでした.ですから,アインシュタインがなぜあのような思考実験が出来たのか? なぜあのような思考実験をやろうと思ったのか? という問いに対する答えの1つは,「物理法則が持っているはずの美を明らかにするため」ということになります.

「物理法則は美しくなければならない」というのは1種の信念ですが,これは一見してとても奇妙です.

公理(前提)を自由に選べる数学と違って,物理学の公理(前提)に相当する物理法則は人間の存在とは無関係に自然が最初から持っているものです.ということは,どんなに美しい物理法則だろうと,それが自然現象と合っていなければ物理学として無意味です.

物理法則は,自然現象と合っているかどうかを実験によって確認されなければならない.その意味で,物理学はアートと違って理性的,あるいは合理的な営みです.自然現象と合っているかチェックした結果,正しい物理法則が(数式として)美しくない可能性だってあるのです.

いやそれどころか,普通に考えるとこの世界を支配している物理法則は美しくないことの方がありそうなことです.にもかかわらず,アインシュタインは「物理法則は美しくなければならない」と考えた.そして,そのような考えに基づいて多くの美しい物理法則を提唱し,しかもそれらは実際に正しかった(自然現象と合っていた)のです.

とても不思議です.

前述の「自然の中に数学が宿っている」ということの不思議さとここでの不思議さは密接に関係しています.

(つづく)

ローバー隊隊長 渡口要