Rover Crew, 5th Setagaya

Rover Advisor's Essays

Oct. 2018:科学と詩 第10回

10.4. 雨への「そなえ」

前回説明した「まざり」がスカウト活動のどの部分に見出されるか,いくつか例を見ていきます.

最初に紹介するのは,雨の中での活動です.

2016年さくら3月号月の輪ハイク感想で,土砂降りのハイキングの話をしました.そこで,ボーイスカウトが雨の中でもプログラムを実行する理由として,「訓練」と「パルタージュ(partage)」の2つがあると言いました(「パルタージュ」の意味については,2015年さくら4月号もちつき感想をご覧ください).

「訓練」と「パルタージュ」は,それぞれ以下に示す複数のイメージと対応しながら,互いに「まざり」合った関係にあります.

  • 訓練のイメージ:科学・具体・能動態・手段・論理・合理・リアルタイム・意識
  • パルタージュのイメージ:詩・抽象・中動態・目的(価値)・感情・神秘・事後的・無意識

「訓練」と「パルタージュ」の「乳化(emulsion)」の中に,ボーイスカウト活動の意義がある.そのことを,2016年さくら3月号月の輪ハイク感想では以下のように表現していた(と今から振り返ると解釈できる)のです.

こういうわけで,強い雨や風の経験は,未来の試練に向けた備えになるとともに,過去の想い出のスパイスになります.過去から未来,そして未来から過去,二重の意味で,我々の人生を豊かにしてくれるのです

ボーイスカウトの「そなえよつねに(Be prepared)」にとって,雨は最大の関心事です.装備的に,計画的に,技術的に,そして心構え的に雨にそなえること.それは科学的でも詩的でも無く,あるいは能動態的でも中動態的でも無く,それらがまざったやり方です.

一方では,雨に対して能動的に動かなければ,寝袋はびしょ濡れになり,テントは流されます.雨に対しては科学的・合理的に対処しなければなりません.それが,スカウト活動が常に訓練である,ということの意味です.

他方,自然現象としての雨自体を科学的に止めることは,人類にはできません.天候はどうしようもない.であるならば,スカウトがやるべきは,雨を中動態的に覚悟をもって「引き受ける」ことです.雨を楽しむことです.この態度は,スカウトソング「むこうのお山」の歌詞によく表れています.

むこうのお山に 黒くもかかれば

今日はきそうだ 大夕立

そなえよ常にだ 干し物片付け

テントに雨水 入らぬように

ひときわ吹き来る 涼しい風に

パラ パラ パラッ と大粒雨

パラ パラ パラ パラ

パラ パラ パラ パラ

ザザザザ ザザザザ

ザザザザザーザー

テントの中は 金城鉄壁

雨でも槍でも 苦にゃならぬ

サアサア 歌いましょ

ララララ ララララ

ララララ ララララ

ラララララーラー

この歌詞を「アルプス一万尺」のメロディーで陽気に歌うこと.私もボーイ隊だったころ,大雨の夏キャンでこれを半ばヤケクソ気味に歌ったことがあります.当時(リアルタイム)は大変でしたが,事後的に振り返ると,それはいわゆる「いい思い出」です.したがって,これは雨に対する詩的な対処であり,スカウト活動が仲間とのパルタージュの経験であることを示しているのです.

雨の中の活動を例に,スカウト活動が科学と詩,能動態と中動態,訓練とパルタージュの「まざり」であることを説明しました.ここでさらに考えを進めると,ボーイスカウト運動はあらゆる意味での「まざり」であることに気づきます.

年代も,地域も,人種も,思想も,宗教も,政治的立場も,全てがボーイスカウトの中ではまざっています.元気なスカウトと,おとなしいスカウトがまざっています.素直で行動派のスカウトもいれば,ひねくれて理屈っぽいスカウトもいます.極端に言えば,「アウトドアが苦手なスカウト」すらいます(ボーイスカウトに入っているのに,意味不明だと思うかもしれません.しかし私の経験では,そのようなスカウトも少なからずいます).

それら雑多なスカウトが集まった「まざり」を抱え込む「器」.2018年さくら4月号永遠のスカウトでは「家族」と表現したもの.この「器」とか「家族」といった特徴を,2015年さくら4月号もちつき感想ではパルタージュと呼んだのです.あるいは同じ意味の日本語として「同じ釜の飯を食う」という表現があることを指摘したのです.その部分を以下に引用しておきましょう.

同じ釜の飯を食べたからと言って,べつに考えが同じになったわけでもないし,ましてや同じ性格になったわけでもありません.それでも,「同じ釜の飯を食う」というだけで,僕らは仲間になれるのです

あるいは,2017年さくら11月号堀江君の文章2017年さくら12月号笈田君の文章にも,地域・人種・思想・文化の「まざり」が見出せます.彼らが通うアメリカやカナダの学校は,まさに多様性の「器」として機能しています.様々な国の友人との交流やカルチャーギャップの経験を報告してくれる彼らの文章は,我々が認識できる「まざり」の範囲を広げてくれます.

そして言うまでもなく,先々月(2018年8月)に行われた第17回日本スカウトジャンボリー(17NSJ)は,パルタージュの経験・「まざり」の範囲拡張という意味で,海外の学校と同じ機能を果たしたのでした.

2018年さくら4月号神田君の文章の最後に,「ボーイスカウト運動全体のデザインはどのようになっているのか」という問いがあります.私の考えでは,その答えは「様々な人間の『まざり』を『まざり』のまま抱えこむようなデザイン」です.例えばデンコーチや上級班長は,まさに年代の「まざり」を意識したシステムデザインです.あるいは,チャレンジ章やターゲットバッジや技能賞が2018年さくら6月号7. Semagramで紹介したピクトグラム,つまりユニバーサルデザインになっていることは,言語や文化の壁を越えた「まざり」を志向しています.

今から振り返ると,これらボーイスカウト運動のデザイン上の特徴を,過去のさくらの原稿では「もちつき=パルタージュ=同じ釜の飯」と呼んだり,「理論と実践」あるいは「観察と推論」といった2項対立を考えることで示したり,「雨の活動」に関連させて表現したりしてきたのです.

そして今回の「科学と詩」は,もっとも「まざり」にくい(ように見える)2項対立です.そうであるからこそ,ボーイスカウトにおける「まざり」の重要性を示すために,私は「科学と詩」というタイトルを選びました.つまり,科学と詩の2項対立の「まざり」を描き出すこと.それが,「まざり」の重要性を示すのに最も効果的だと考えたのです.

10.5. 「まざり」の中をさまようこと

科学と詩の第1回は,2018年さくら1月号から始まりました.そこでは,B-Pの著作『Rovering to Success』を紹介し,"Rover"が「さまよう人」を意味することについて説明しました.

今ここに至って分かるのは,そこで"Rover"がさまようのは「まざり(乳化,emulsion)」の中だということです.理論と実践,観察と推論,そして科学と詩.あるいは様々な年代・地域・人種・思想・宗教・政治的立場.これら雑多な「まざり」を,訓練しパルタージュしながらさまようこと.しかもただ漫然とさまようのではなく,時には惑星探査車(rover)のように勇敢に,またある時には移動局(rover)のように定位しながら慎重に道を切り開いていく.つまり自立し,かつ自律していること.それが"Rover"のあるべき姿でした.

あるいは"Rover"は,"planet(es)"として科学的にみんなで協力して生きていく者でありながら,それと同時に"vagabond"として詩的かつ孤独に実存の問題を追求する者でもあります.そのような両立は,"zero sum"と"non zero sum",あるいは能動態と中動態の両立とゆるやかに重なりつつ,しかし実際には複雑に「まざって」いるのでした.

2018年さくら2月号3. Successでは,「B-Pは認識こそが真の成功,すなわち幸福に至る鍵だと考え」たと述べました.そして,認識には科学的認識と詩的認識があり,この両者をアウフヘーベン(止揚)することで真の認識・真の成功・真の幸福が得られる,という考えを述べました.

この考えを「まざり」と接続し,2017年さくら4月号4. 科学者にとっての「みる」ことと「はかる」ことにおける「光をみる,あるいは光によってみる」や,2017年さくら10月号12. 重力波によって宇宙を観ることにおける「重力波をみる,あるいは重力波によってみる」にならって標語的に言えば,以下のようになります.

"Rover"は"mind"と"heart"を使って科学と詩の「まざり」を認識する,あるいは「まざり」によって世界を認識する

つまり,「まざり」の中の認識こそが,B-Pの言う"success"への道なのです(詳しい人向けに書けば,ここで言う「まざり」は実はアウフヘーベン,すなわちヘーゲルの弁証法とは異なるイメージで捉えるべきものです.それは,フランス現代思想の言葉では「差異(différence)」,あるいはデリダであれば「差延(différance)」と呼ぶものです).

* * *

「理論編」としての「科学と詩」第1部も,ずいぶん長くなってしまいました.しかし積み残した話題はまだたくさんあります.2018年さくら1月号科学と詩の第1回で予告した,谷川俊太郎やナイチンゲール,そしてB-Pの父の話はまだしていません.それらは次回からの第2部に登場することになります.

そもそも私は,この「科学と詩」を第2部から書き始めました.第2部を書いていて,それの理論的基礎付けを行おうと後から書き始めたのがこの第1部です.

もともとここまで長くなるとは思っていませんでしたが,長くなったおかげでいいこともありました.それは,わがローバー隊のスカウトの原稿から,多くのヒントが得られたことです.

それらのヒントは,すでにこのエッセイの様々な箇所で引用させてもらっていますが,2018年さくら7月号保科玄樹君の文章:「ボーイスカウトと宗教」には,今後の第2部に向けての勇気をもらいました.つまり,「宗教」というデリケートな問題をしっかり扱うべきであると,確信させてくれたのです.

宗教に加えて,ボーイスカウトの3つの誓いの1つ目である「神(仏)と国とに誠を尽くし掟を守ります」の後半,「国」の問題についても扱うべきでしょう.少しだけ予告すれば,それは「左翼」と「右翼」の問題です.私の考えでは,左翼と右翼の対立は科学と詩の対立です.そして,ボーイスカウトは左翼と右翼の「まざり」である,というのが目指すべき結論です.そこでは,B-Pの父が「リベラルな神学者」であったこと,および,2018年さくら8月号9. Be preparedで取り上げたクリント・イーストウッドが「草の根右翼(grass-roots right)」であることなどが重要になるでしょう.

他にも様々な話題が,今後もローバースカウトのエッセイには現れるはずです.それらを含めたいくつかの具体例を,第2部以降も科学と詩の「まざり」として扱っていきます.そうすることで,"Rover"がいかに「まざり」の中をさまよっているか,示していこうと思うのです.

ローバースカウトたちは,それぞれに異なる人生の背景を持っていて,現在の置かれた状況も違います.しかしそれにもかかわらず,彼ら全員が共通して,いかに"Rover"であるかということ.そして,ローバー隊あるいはボーイスカウト運動全体が,多様な"Rover"たちのパルタージュ(partage,ピザの分け合い)あるいは乳化(emulsion,パスタのソース作り)であること.これらのことが,彼らのエッセイから分かるはずです.

ピザのパルタージュとパスタの乳化.そんなふうに覚えて,ローバー隊のエッセイを「まざり」の観点で今後も読んで貰えればと思っています.

2018年9月24日追記

その1

VS隊の磯田君による大型建築プログラムの素晴らしい写真をボーイ隊HPにupしていたところ,素晴らしいニュースが入ってきました.JAXAの「はやぶさ2チーム」が,ミネルバ2-1のローバー1A,2Aの2機を小惑星リュウグウに着陸させることに成功した,というニュースです.

詳しくは,例えば次の記事:[更新]世界初、小惑星上で「自分で考えて跳ぶロボット」はやぶさ2ローバー着陸成功をお読みください.2機のローバーの状態は正常で,リュウグウ表面での探査を開始しているとのことです.

2018年さくら1月号2. Roverを読んでくれていれば,例えば記事の中の次の文章に反応出来るでしょう.

ローバーとはrover(歩き回る者)から発生した言葉で、天体の表面を移動できる仕組みを持った宇宙機を差す。ミネルバ2-1はその中でも特にユニークな、跳ねて移動する仕組みを持ったロボットだ
光を感じて活動を変える、太陽電池に光が当たらないときは移動して物陰から抜け出す、跳ねている最中の撮影を試みる、など、地上やはやぶさ2本体からのコマンドがなくても「自分で考えて」動作する自律型ロボットだ

また,2017年さくら3月号から始めたB-Pとシャーロック・ホームズ,そしてアインシュタイン ―観察と推論―を通して読んでくれていれば,次の文章が気になったかもしれません.

ホッピングを移動方式に選んだ理由は、火星や月のような大きな天体と異なり、小惑星の重力が非常に小さいためだ

さらに次の部分は,今月号のさくら神田君の文章:「8年越し」の『宇宙兄弟』の引用とズバリ重なる内容でしょう.

過去の失敗を乗り越えて再びの挑戦:(…)初代ミネルバは小惑星への投下の際に目標のスピードを超えて切り離されてしまい、小惑星イトカワの表面に着陸することができなかった

ミネルバ2-1の2機のローバーに関する今回のニュースを,ボーイスカウトあるいは"Rover"と関連づけて「読み込む」と,面白いと思います.

その2

上のニュースに続いて,ややマニアックな次のニュース:宇宙一硬い物質は激レア素材の「核パスタ」!が目にとまりました.今回の本文にもパスタは出てきましたね.

実は,今回「ピザのパルタージュ」と「パスタの乳化」という言葉を出した背景の1つに,このニュースに出てくる「核パスタ」の物理理論があります.せっかくニュースで取り上げられたので少しだけ話すと,この「核パスタ」あるいは「パスタ相」は,「近距離の斥力」と「長距離の引力」とが共存する場合に現れます.そしてこのような「近すぎると離れようとするが,遠すぎると引き合う」ような力が働くシステムは,実は物理の世界では他にも知られていて,ある種の普遍性を持っているのです.

ところで「近すぎると離れようとするが,遠すぎると引き合う」と書くと,何か人間関係のことを言っているような感じがしませんか? 2017年さくら9月号10. アインシュタインの重力の冒頭,世田谷第5団65周年キャンポリーの「キャンプファイヤーの最後でガリ勉がした,宇宙の話と人々や社会の繋がりの話」をもし万が一詳細に覚えているスカウトがいたら,その時にこの「近距離の斥力」と「長距離の引力」の共存について話していたことに思い至るでしょう.あれは,この種の物理学を学んだ者がSF的妄想を膨らませて,それを物理の話から「人々や社会の繋がりの話」にまで拡張した内容だったのです.

この妄想の少し詳しい内容はそのうち話しますが,とりあえず次回はこの手のSF的妄想のプロ,詩人谷川俊太郎について触れようと思っています.

その3

気づけばノーベル賞発表の季節です.昨年はノーベル物理学賞に「重力波の直接観測」が選ばれることを予測し的中させましたが,今年は重力波のときのように自信をもって予測することは出来ません(それだけ,「重力波の直接観測」が圧倒的業績だった,ということです).

しかし一応予想をしておけば,2017年さくら10月号11. アインシュタインの時計,B-Pの時計で紹介した香取秀俊先生の光格子時計には可能性があると思います.特に今年の11月,質量の単位である「kg」の定義が見直される見通しになっており,とうとう物理の基本単位の定義から「原器」が排除されるという流れがあるので,それが後押しするかもしれません.「秒」の定義も,近いうちに香取先生の光格子時計による定義に変更されるでしょう(ちなみにこれを書いている9月24日は,146年前に「メートル原器」が制定された日です.1872年,B-Pが15歳のころです).

今年のノーベル物理学賞の発表は10月2日.ひょっとするかも…

(つづく)

ローバー隊隊長 渡口要