Rover Crew, 5th Setagaya

Rover Scout's Essays

Oct. 2017:文学部とボーイスカウト

最近の風潮として、どうも「カネになるもの、明確な利益を生み出すものでなければ無駄だ」という即物的な発想が見られる気がする。

いや、このような発想は昔からあるし、それの逆側としての「今、世界は物質的豊かさではなく精神的豊かさを追い求めるべき時期に来ている」なんて言葉も、大学生がレポートに書きがちなテンプレとして手垢にまみれているらしい。

それでも上述のような即物的発想が最近になって特段顕著になったと言い得るとすれば、今までとの違いは、タテマエが無くなってホンネだけになってしまっているという点だ。

昔だったら、即物的な発想に対し「そのようなことを言うのはみっともない」と対抗する言葉が発せられた。少なくとも、ホンネをあからさまに言うと、頭が良さそうで立派に見える誰かからタテマエによって諭されるかもしれない、という雰囲気があった。そういう雰囲気があったから、実は多くの人が思っているホンネなのだとしても、公共の場であからさまに言われることは無かった。馬鹿と思われることを恐れるからだ。タテマエは重要だったのである。

ところが今は、タテマエが機能しない。タテマエという理性をくだらないものとして退け、ホンネという名の本能の垂れ流しが堂々と行われるようになってきている。ホンネをさらけ出す方が誠実なのだ、と本気で思われているふしすらある。

だから、即物的発想が公共の場で恥ずかしげもなく披露されるようになっている。

私にとって身近な例は、大学における「文学部」軽視。文学部でやっていることはカネにならないのだから無駄という発想だ。上位大学以外の文学部廃止も取り沙汰されているらしい。

なるほど、文学部は理系学部のように明確な産物(商品=カネ)を生み出したり、経済学部のように企業での収益向上に役立つ理論を学ぶということはほとんど無い。手段的な学びは文学部には少ないと言えるだろう。

しかし、だからといって文学部で学ぶことが無意味ということにはならない。

2016年度の大阪大学文学部卒業セレモニーにて文学部長の金水敏先生がお読みになった式辞は金言である。

「文学部で学んだことがらは、皆さんお一人お一人の生活の質と直接関係している」
「文学部で学ぶ事柄は、これらの『なぜ』『何のために』という問い(原文では時間やお金の使い道から日本人とは何か、人間とはどういう存在なのか、などといった問題が問いとして挙げられている)に答える手がかりを様々に与えてくれる」
といったフレーズは、文学部の存在意義を端的に説明している。

タテマエはすなわち価値であり、目的を設定する。ホンネはすなわち欲望であり、手段を要求する。

文学部で学ぶ事柄は、タテマエを語る技術であり、価値を打ち立てる能力であり、つまりは我々や我々の社会の目的(あるいは理想)を正しく設定するためのものなのである。正しい目的無しには、どれだけ優れた手段を持っていたとしても宝の持ち腐れになってしまう。

別の言い方をすると、文学部で身につけるのは思考力そのもの、つまり正しい意味での教養である。よく言われているように、日本を含む今の先進各国では、反知性主義、言い換えると反教養主義がまかり通るようになってきている。そのようなときには、文学部での学びは精神的価値に関わるという点で、経済学部や法学部といった物質的欲望に関わる度合いが大きい他の文系学部での学びと比べても、冷ややかな視線を向けられがちである。

しかし、いや、であるからこそ、文学部の存在意義は今、かつてなく高まっていると思う。

もっとも、私は現在教養課程に属しており、学部を決定するのは来年なので、ここまで書いたことは机上の空論に過ぎない。来年になれば、即物的で欲望に関わる手段的な学びに没頭しているかもしれない(もちろん、それは全く悪いことでは無い)。

だが逆に言えば、まだ自分の専門も決まっていないフワフワした今だからこそ、このようなことについて考えることが出来る。来年の私が今の私を笑ったとしても、今の私がこのような机上の空論を大切に思っていることは確かなのだ。それは恐らく大事なことなのだろうと思う。

さて、実はボーイスカウトに対しても、文学部の存在意義と似たようなことを感じている。スカウト活動、特にキャンプのときに上述のような意識を私は持っていた。

キャンプというのは、単純に物質面で言えば非合理的なものだ。

自然の中に出たいのなら、今だったら自然の中にある宿泊施設に行けば良い。野外での調理をしたいのなら、ガスコンロを持って行けば良い。なにより、訓練性の強いキャンプでは時に理不尽とも思えるプログラムが課されることもある。基本的に現代社会で絶対に必要なことをしているわけではない。

現代社会に生きる我々にとって、薪割りや焚き火の技術が高くて何か良いことがあるだろうか?

おそらく、別にその技術そのものが重要なのではなく、スカウト活動を通じて培ったメンタリティこそが重要なのだ。それは、現代社会でも必要なスキルなのだと思う。協調性や自律意識などは、まさにスカウト活動で養われる現代社会でも有用なスキルの最たるものだろう。

スカウト活動は、野外での手段的なスキルを学ぶこと以上に、そのような学びを通した心の涵養が大事である。そしてもしかしたらそれ以上に、もっと抽象的で、かつ、今の時代ないがしろにされがちだけれども実は最も大切な能力、すなわち目的設定能力を磨くことことそが、スカウト活動において一番重要なことなのかもしれない。

肉体的にも鍛えられる要素はある(笑)と思わなくもないが、個人的にはスカウト活動はやはり精神的な訓練あるいは抽象的な訓練の要素が大きいと思う次第である。

ローバー隊 廣畑優太朗