Rover Crew, 5th Setagaya

Rover Scout's Essays

Jul. 2019:教育という観点から見るスカウト活動の意義

僕の小さいころは、ちょっとした異端であった。

"流行り"とか"みんながやること"が嫌いで、自分の好きなものを尊重して心の赴くままに毎日を過ごしていた。だからお遊戯会にも参加しなかったし、仮面ライダー云々にもあまり興味を示さなかった。それに人の話を聞くのが嫌いであった。

そんな世間を小ばかにする磯田少年であったが、成長してもその少し曲がった根性は残った。そのせいか、はたまたそのおかげと言うべきか、今でも、意識せずとも自身の独創性を優先してしまうところがある。オリジナルであることに対する、無意識の(しかし強い)肯定が働く節がある。

去年の9月、僕は全長6m近くにもなる三脚信号塔をひよどり山に建築した。もちろん工具は使用せず、木材とロープだけを使って。

この企画・計画・実行においては、山田VS隊長や河田BS副長をはじめとして、多くのリーダーや関係者の方々から多大なご協力をいただいた。それが無ければ、このプログラムは成し得なかったと思う。感謝します。

信号塔の上からの景色を僕自身で見ることはなかったが、それでも僕はあの日のことを今でも鮮明に思い出せる。それにもし、あの日あの場にいた皆がなにかしら思い出をあのひよどり山に置いて行ってくれたとしたら、それは僕にとって益々の喜びである。

しかしながら、この一つについても後から振り返れば相当な異端、いやオリジナルであったと思う。なぜなら大型建築プログラムは、複数の他団と合同で行うことが通常であるし、建築する信号塔の形状も、四脚の四角いフォルムを選ぶのが一番やりやすいからだ。一般的な四脚の信号塔は丈夫で安定しており、またあらかじめ最終形を想定しやすいため倒壊によるけがのリスクや準備不足のリスクが少なく、好まれるのである。

対して今回は、(他団から数名参加者があったものの基本的には)一つの団が主体になって、しかも三脚信号塔を建てた。相当オリジナルなプログラムだったのだ。  だから、準備段階から困難が非常に多かった。

  • 人は何人必要で、時間はどのくらいかかるか?
  • 工程を何分割するのが効率的か?
  • 材料(縄や木材)の種類と分量は?
  • その他必要な工具はあるか?
  • 安全をどうやって確保するか?
  • 全体のスケールはどのくらいになるのか?
  • 協力してくれた皆は退屈しないか?

私は計画当初、このすべてを"ゼロ"から考える必要があった。なぜならこの企画は、全くのオリジナルであり、全くの未知だったからである。

人がすでに切り開いている道を自分用にコーデする、もしくは選んで進んでいくのは簡単である。それに対して、一つのものをゼロからつくりあげるのは、常に想像力やら細かなシュミレーションやらを要求されるため、何かと気疲れする。何か要素を付け足そうものなら、それに関連してあちこちに変更が生じ、5倍10倍と仕事が増えていく。想定外の見落としが一つでもあれば、プログラムは実現せず、一瞬のうちにただの夢妄想に成り下がりかねない。

多少大げさな印象を受ける方もおられるだろうが、これがオリジナルを作る上での辛さである。

だがそれを味わうのは、今回の大型建築プログラムが初めてでは無い。これまでに部活の慰労会や普段のスカウト活動などでたくさん場数を踏み、そのたびにオリジナルを発揮しようと奮闘し、そうやって僕は何度もこの辛さを経験してきたのだ。

自分で自分の首を絞めるバカげた行為だと思うだろうか?

そう言われてしまえば、それで話は終わってしまう。しかし断言しよう。オリジナルをやり遂げた時の達成感はなにものにも変えがたい。辛さの代価としてはお釣りがくるほどの満足が得られるのだ。

あるいは、マイナスだと思っていた自分の個性が、新しい"なにか"の創造というプラスに反転したと捉えることもできる。

だから私は、自身を苦しめ続けながらも、オリジナルへの執着という片意地を張り続けていられるのだ。

オリジナルを作ろうと沢山の場数を踏んできた。そのなかで、「ゼロから何かを作りたいなら、最低これだけは必要」と思う能力を見出すことができた。それは、以下の三つである。

  • 1. 広い視野を持って、気づく力
  • 2. 土壇場での、対応力
  • 3. 協力者を得て、指示する力

言われてみれば当たり前な三項目かもしれない。

ただ私の経験上、たいていの場合、どこかのタイミングでこのうちのどれかが知らぬ間に抜け落ちてしまう。計画が複雑で難しければ尚更だ。だから、基本的な三項目ではあるが、私なりの説明を加えさせていただきたい。

まずは一つ目。大きなイベントを進めようとすると、複数のタスク、それもジャンルの異なるタスクを同時並行でこなす必要が出てくる。勉強のように一つのことに集中して取り組めば成果が出るようなタイプのものではない。どれだけ細かく分業しても、イベントの企画・計画・実行には常にこのマルチタスクが付きまとう。

だから、企画・計画・実行の各段階で、目の前のことにフォーカスしすぎず、常に視野を広く持って想像力を働かせながらシミュレーションを行うことが大事である。そうすることで、他の様々な要素との関連性に気付けたり、重要なヒントを周りから見つけ出せたりする。それが成功のカギである。

これが広い視野を持って、気づく力、である。

二つ目。いくら準備をしても、現場では想定外の事態が発生する。その場合、その場で計画を変更したり、なんとか力技でその事態に対応したりする必要がある。

会場の下見が事前に出来なかったりすればなおさらだ。"そなえよつねに"はこの業界では幅を利かせている言葉であるが、現実問題下見が叶わない場合だってある。しかもこの言葉は、逆手に取れば「そなえた範囲でしか動きが取れない」ということを意味しかねない。

そんな弱いスカウトであってはマズいので、ベターな準備と共に土壇場での、対応力、も大事なのだ。

最後、三つ目は、一番の重要項目である。昔から"孤軍奮闘"が悪い事態を意味するように、人間は一人では限られた時間の中でできることに限界があるし、知恵も限られる。

また、仕事を一人でため込んでいると、次の仕事が来たときに、まるで玉突きのように元の仕事の一部が抜けてしまう。そうなると、予期せぬミスが自分一人に降りかかることにもなる。そうしていると、だんだんストレスが増えていき、悪循環が回転を始める。

そんな時に、仕事を手伝ってくれる頼もしい協力者がいれば、知恵が増えて出来ることの範囲が広がる。その上、責任や自分の受け持つタスクが小さく分散される。するとミスも減り余裕が出てきて、今まで気付けなかった可能性を発見することもある。

だから、多少面倒でも仕事はある程度時間をかけて協力者に説明し、きちんと分業を進めるべきなのだ。私も一時期、いちいち他人に仕事内容を説明したり、承認を得るために話し合ったりするのに時間が取られるくらいなら、自分一人でこなした方が良いと思っていた。しかしそれは、今から振り返れば非効率だったのだ。

それにチームで仕事をすることの楽しさもある。冒頭に書いた通り、大型建築プログラムは沢山の方々の協力によって成立した。それを思うと、なんでも自分一人でこなした方が良いという考えは愚かであった。

これが、協力者を得て、指示する力、である。

前置きが長かったが、ここからが本題である。

上に述べた三つの力は、なにもボーイスカウトに限って役立つわけではない。むしろスカウト活動を通して三つの力を高め、それを学校や社会での行動に役立てるよう考えるのが正しい。

そもそもボーイスカウトは青少年の健全育成のためにある組織であるから、スカウト自身がその中で成長するような場でなければならない。日曜日に集まって、単に原始的なことをしている集団ではないのだ。

私自身に関しては、これまでの様々な経験や苦労の中で、オリジナルに対する過度な肯定を、自身のやりたいことを実現するためのノウハウ確立という形で昇華させることが出来た。このような、「経験」→「経験によって得られた能力の抽象化」→「より広い一般対象に対しても役立つノウハウの習得」という流れは、ローバーになった私が今まさに求めている人間教育のイメージでもある。

教育とは、学校でのみ行われるものではなく、決まった大人から施されるものでもない。個人が自発的に課題を設定してそれに取り組み、それを通して実際に肌で感じたことこそが、真の学びになる。そしてそのような体験を共有する対等な者同士が、意見を交換してさらに高めあう。そうあるべきだと思う。

その根拠は、福沢諭吉の教育理念の中にある。

福沢は著書『学問ノススメ』の中で、「飯を炊き、ふろを沸かすことも学問である」(要約)と述べている。ここでいう学問とは、いわゆる学校での勉強に限らない、将来社会の先導者になるべき人間たちが身に付けておくべき教養を学ぶ行為を指している。ここに教育というものの本意、すなわち普段から"実践躬行"を心掛け、その実践の中で自らが感じたままに教養を蓄えていく姿が示されていると思う。常日頃から我々は、学びをこのようにして行っていくべきなのだ。

さらに福沢は、"半学半教"という言葉で表される学問への姿勢も説いている。すなわち、前述したような自発的学問動機を持った者同士が、互いを他山の石としながら半分学び、半分教える。そのような過程を経て、共にさらなる高みを目指す、という姿勢である。そこに形式上の師弟関係なるものは存在すべきではない。

ボーイスカウト活動はまさに、これを実践できる場ではないだろうか。学校でも家庭でもない第三の教育機関としてのボーイスカウトには、スカウトも指導者も同じ土俵で学びあえる環境が、そして何より、自発的に活動できる環境が、それなりに用意されている。

この文章を読んで、ボーイスカウト活動の意義を新たに発見するスカウトが出てくれることを願う。

ローバー隊 磯田悠生