2018年3月14日(水)
永遠のスカウト
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横山壽美夫団委員が亡くなられました.享年80歳でした.世田谷第5団が東京第103団から団名変更したのは1977年.そのずっと前から,この世田谷の地でボーイスカウト活動を続けてこられました.
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普段のさくらでは,ローバースカウトの「詩」の文章に対して,私は「科学」寄りの文章を書いています(「科学」と「詩」の意味については,2018年さくら1月号:【科学と詩 第1回】をお読みください).「詩」はスカウトに任せているのです.そうして,スカウトと私の文章が異なるスタイルで,しかし内容的に響き合うよう気をつけています.
そのようにしているのは,「科学」の地位が「詩」に比べて低いことへの,私なりの反発でもあります.みんな「詩」が大好きです.「面白さ」を「詩」が独占して,「科学」はその逆の「つまらなさ」・「小難しさ」を押し付けられがちです.
大切なのはバランスです.そのため,普段のさくらでは「科学」の文章を書いて,スカウトの「詩」の文章と対置させているのです.
それにもかかわらず,今回私は「詩」を書こうと思いました.それは,リーダーとしてではなくスカウトとして書く,ということでもあります.ですから,いちスカウトのたわごととして受け取ってください.
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横山さんに初めてお会いしたのがいつなのか,覚えていません.おそらく,私が名古屋の団から移ってきたばかりのころ,カブスカウトとして参加した上進式やBP祭,あるいは45周年記念キャンポリーのあたりではないかと思います.
私にとっての横山さんは「親戚のおじさん」でした.普段から頻繁に会話をするわけではありません.しかし世田谷第5団の大きなイベントにはいつもお姿がありました.「昔から世田谷第5団にいる,歴史の生き証人的な偉い人」でした.その佇まいはちょっと怖いような,しかし背筋がピンと伸びるような,そんな存在感を放っていました.
このような印象を横山さんに持つスカウトは,私に限らず,今のローバー以下の年代にも多いのではないでしょうか.しかし私にとって特別に意味深いことが,横山さんの佇まい,あるいは世田谷第5団という地域団にはあります.それは,私の生い立ちに関係しています.
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私の父は転勤族でした.世田谷第5団に転団した小学5年生の時点で,人生6回目の引越しだったのです.
引越しばかりしていたので,私には「地元」の感覚がありません.「どこ出身?」と聞かれると,答えに困ってしまいます.大げさに言えば「流浪の民」ということになるでしょうか.これは,長いあいだ国を持たなかったユダヤ人に対して使われる言葉です.
地元が無いので,私にはアイデンティティの危機,つまり「私は一体誰なんだろう?」という悩みがあります.
いや,それは正確ではありません.「私は一体誰なんだろう?」という問いから目を背けること.目を背けて,気にしないこと.気にしないで,その場所その場所の作法に合わせて自分をカメレオンのように変化させること.そのようにして,地元の発する「重力」とは無縁に「軽やかに」世の中を渡っていくこと.そういうやり方を,私は自然と目指すようになったのです.
すると必然,人間は小賢しくなります.帰るべき故郷・自らのホームベースが無いので,私の場合は数学とか物理とかいった普遍性の高い知識を,「確かなもの」の代替物として身につけようとしました.ですから,同じ「流浪の民」であるユダヤ人から理系の学者が数多く輩出されることの理由が,私には実感として分かります.故郷でも宗教でも知識でも,人間は何かしら「確かなもの」を持っていないと不安なのです.
そんな私にとって,「地元」というのはある種あこがれでした.地元の「重力」に引かれて,ついつい帰郷してしまう.そんな感覚を羨ましくも思いました.
地元・血縁・信仰といった「重力」を,自由を奪う鎖と考える人もいます.しかし私には,それが地面にしっかり立つために無くてはならないものに見えたのです.
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「流浪」していた私に,世田谷第5団は足場を与えてくれました.「重力」を与えてくれました.つまり「地元」を与えてくれたのです.
2017年さくら7月号の堀江君の文章は,「ボーイスカウトは家族である」という出だしで始まります.まったく大賛成.理由の説明は不要でしょう.ボーイスカウトには,明らかに家族的な要素があるのです.
「家族」としての世田谷第5団において,横山さんは「親戚のおじさん」でした.それも,「歴史をまとった偉いおじさん」でした.
実際,横山さんのお葬式には,私がスカウトのときにお世話になった歴代のリーダー達が訪れました.彼らは,頭でっかちだった私に心の開き方を教えてくれました.秩序と理性の世界から,混沌と眩暈の世界に私を連れ出してくれました.つまり,「科学」に「詩」を付け加えてくれたのです.
芝居掛かった格好の良いスピーチをするリーダーもいれば,下ネタばかり話すリーダーもいました.きっと彼らは,そんな大きな影響を私や私の仲間たちに与えようとは思っていなかったでしょう.単に自分とスカウトが楽しめるよう振る舞っていただけでしょう.「親戚のお兄さん」とは,きっとそのようなものだと思うのです.
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世田谷第5団には様々な人がいます.「しっかりものの母」もいれば,「優しい父」もいます.「人気者の弟」もいれば,「厳しい姉」もいます.さらに言えば,「家を出て行ってしまった子供」や「ごくつぶしの兄」もいます.これら全てが,世田谷第5団という「家族」の一員なのです.
2017年さくら8月号の笈田君の文章には,世田谷第5団の「ごくつぶし」に対する甘さ(優しさ)への感謝と,しかし「ごくつぶし」を甘やかしていては「家族」は崩壊するという常識(厳しさ)が書かれています.この相反する2つの両立は奇跡的なことです.
くれぐれも誤解しないで欲しいのですが,「しっかりもの」がいなければ「家族」は崩壊します.しかし同時に,「家族」のために「ごくつぶし」を追い出すようでは,そもそも「家族」とは呼べません.それはもう「会社」と呼ぶべきものです.
組織の維持だけを目的にするなら,そのようなやり方もあるでしょう.しかしそれでは,そもそものボランティア団体であることの意義すらも薄れてしまいます.
B-Pの"We are a movement, not an organization(我々=スカウティングは運動であって,組織では無い)"という有名な言葉があります.この「運動」という言葉を,私は「家族(の運動)」と読み替えたい.つまり,排他的では無く,拡張性の高い,外に広がり続ける「家族」としてイメージしたい.そして上で述べた意味での優しさと厳しさを,それこそ本当の家族でしか両立し得ないはずのものを,世田谷第5団には抱え込んで欲しい.そんな「あり得ない」運動として,これからも続いていって欲しいと思うのです.
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世田谷第5団の風景の中には,いつも横山さんがいらっしゃいました.全体を見渡せる場所に座って、いつも我々を見守っていてくださいました.世田谷第5団という家族運動が可能であるためには,横山さんのような「親戚のおじさん」が必要だったのです.
横山さんの精神的支柱としてのはたらきと,その下で発生した多くの人の奉仕のおかげで,「養子」であった私は「地元」を獲得することができました.そのことを,深く感謝いたします.
お亡くなりになられてやっと,このような言語化に至ったのは情けないかぎりですが,心よりご冥福をお祈りいたします.
RS隊隊長 渡口
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↑世田谷第5団機関誌「さくら」4・5月合併号が公開されました.
↑2018年りふれっしゅ村鉢ヶ崎@石川県珠洲市で開催した「日本ジャンボリー(17NSJ)」現地報告を公開しました.
↑2017年長野県長者の森で開催した65周年キャンポリー紹介動画を公開しました.
↑2018年新潟県赤倉温泉で開催したBSスキー訓練2018紹介動画を公開しました.
を用意しました.↑2012年山梨県四尾連湖で開催した60周年キャンポリー紹介動画を公開しました.
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