ボーイスカウト世田谷第5団 ボーイ隊のホームページ

2020年5月2日(土)

二ヶ月間の休暇(あるいはもっと)

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スカウトのみんな,元気ですか? ほとんどの学校はお休みでしょうから,毎日家に1人でいる時間がふえたかな? スカウト活動の方も,もう1ヶ月以上お休みになっているかと思います。

私はと言えば,最初のころはこれまで通り新幹線で仕事に行っていましたが,4月に入ってすぐお休みになりました。買い物や洗濯や料理の合間に,本を読んだり映画を観たりして過ごしています。ちょっと風邪っぽくなって,なんとなく嫌~な気持ちになることもあります。

3才7ヶ月の私の息子も,入園した幼稚園がいきなりのお休みになって,4月からほとんど家で過ごしています。公園などに遊びに行くことはあるものの,なんだかんだストレスが溜まるだろうと心配でした。

しかしそんな心配をよそに,息子はたいへん快調です。1日中おかしな歌をうたい,楽しそうに踊り,笑いころげています。

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にぎやかな息子を毎日見ていて,みんなへのおせっかいを思いつきました。

世の中は大変なことになっていて,みんなの中にも困っているスカウトがいるかもしれません。でも明るく振る舞うのは「タダ」です。多少無理してでも陽気に振る舞ってみるのはどうでしょうか?

ビーター隊のきまりの1つ目は「ビーバースカウトはげんきにあそびます」です。カブスカウトのモットーは「いつも元気」です。そしてボーイ隊以上のおきての5つ目は「スカウトは快活である」です。ボーイスカウトは「元気であること」をとても大切にします。

そんなこと言ったって,外にもろくに遊びに行けないし,友達ともなかなか会えないこんな状況で,無理に明るく振る舞ってもしょうがないと思うかもしれません。今は世界が面白くないから,自分も面白く思えないのだ,と。

でも,こうは考えられないでしょうか? 自分が面白くなれば,世界も面白く見えてくる。つまり,ひっくり返すのです。

自分と世界をひっくり返すなんて,そんなのでダマされないぞと思うかもしれません。なんか似たようなこと,よく本に書いてあるぞと思うかもしれません。いちおう,このような考え方には「科学的に良いという理由」があります。説明はしませんが,単なる「気合い」ではありません。

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しかしその「科学的な理由」を知らなかったとしても,きっと私はそれが「良い考え方」だと直感できたでしょう。なぜなら,ある意味このような状況になったおかげで,長い時間を家で過ごすことになり息子をよく観察するようになったからです。

息子を観察していると,自分が面白いから世界も面白い。世界が面白くなったから,自分はもっと面白くなる。そうしたら世界はさらに面白く見えてくる… こんな感じで,自分と世界の間で面白さがグルグル回転して,どんどん面白く,楽しく,そして元気になっていくことが分かるのです。

いや実は,このことを私はすでに知っていました。本で読んだのではなく,誰かに聞いたわけでもなく,スカウト活動の中で学んでいました。それはキャンプファイヤーの経験です。

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キャンプファイヤーを思い切り楽しむ一番良い方法は,何よりも自分が「思い切り楽しんでやろう!」と思うことです。たしかに,キャンプファイヤーの出し物が面白いことも大切ですし,入場のやり方や火の付け方を工夫して気分を盛り上げることも大切です。でも,キャンプファイヤーを成功させる一番の近道は,自分の心の状態を「楽しむモード」に持っていくことなのです。

キャンプファイヤーが楽しいから自分が楽しいのではなく,自分が楽しもうと思っているからこそキャンプファイヤーが楽しくなる。そうひっくり返して考えた方が,絶対に「おトク」です。逆に言えば,「俺は絶対楽しまないぜ!」なんて思っていたら,どんな素晴らしい出し物があっても面白がれないでしょう。

このことは,一度でもキャンプファイヤーに参加したことがあるスカウトなら分かってくれるのではないでしょうか。ボーイスカウトを作ったベーデン-パウエルさんも,当然このことをよ~く分かっていたのです。

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もちろん,みんな1人1人性格が違います。普段から騒がしいタイプもいれば,おとなしいタイプもいるでしょう。そういうみんなの個性は全て素晴らしい。だから,「多少無理してでも」とは言いましたが,それぞれの性格ごとに「いつもよりちょっと多めに」自分から面白さを探しにいって,この新型コロナウイルスが流行ってしまった世界をちょっとだけ楽しくしよう,ということです。

たとえばそれは,「毎日の朝のあいさつの声を少し大きくする」でもいいですし,「シャーロック・ホームズの本を全部読む」でもいいでしょう。もちろん,たとえばボーイ隊なら「この休みの間に,菊章とってやるぜ」でもいいと思いますし,「分厚い数学の本を1冊読破してやるぜ」なんていうベンチャー以上のスカウトもいるかもしれません。

そうやって,せっかくこれまでと違う状況になったのだから,これまでと違った何かを始めてみる。すると思わぬ世界の面白さを新しく発見できるかもしれないのです。

* * *

私はいま36才で,妻と息子と3人でこの状況を迎え,ラッキーにもそれなりに楽しく日々を過ごせています。

もし,ボーイスカウトのキャンプファイヤーの経験が無かったら,この生活をもっと苦しく感じていたかもしれません。あるいは,めぐりめぐってこの3才7ヶ月の息子は生まれていなかったかもしれません。そんなことまで,この文章をここまで書いてきて,ぼんやり考えてしまいました。

世の中も人生も,「何をどうしたら,こういう良いことがある」ということをあらかじめ知ることはなかなか出来ません。ボーイスカウトの一番大切なモットーは「そなえよつねに」ですが,新型コロナウイルスに具体的な「そなえ」をしておくのは,ほとんどの人にとって難しかったでしょう。

でも,「楽しむモード」に入りやすくしておく「心のそなえ」だったら,いつでも誰でも出来ます。それはさきほど言ったとおりキャンプファイヤーの経験の中で学んだスカウトもいるでしょうが,これからだっていくらでもトレーニングできるのです。

そしてさらに言えば,3才7ヶ月の小さな子どもこそが,そのような「楽しむモード」に入って色々な面白さを発見する達人かもしれません。私の家族の中で,この新型コロナウイルスが引き起こした状況に対して「心のそなえ」が一番出来ていたのは息子だったのです。だからこれは,「自分がもっと小さかったころの,好奇心いっぱいだった気持ちを取り戻そう」みたいな話かもしれません。

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今の状況がいつまで続くか,先はなかなか見通せません。キャンプファイヤーのような「三密」の活動をまた出来るようになるのはいつか? 今年の夏にはあっさり出来るようになるのか? 来年は? もしかしたらそれよりももっと後? …誰にも分かりません。

それでもいつかは必ず,みんなでキャンプファイヤーをやれる日が来ます。それにむけて,「楽しむモード」に入る達人になれるよう,そして,世界の色々な面白さを発見する達人になれるよう,「心のそなえよつねに」のトレーニングをスカウトのみんながやってくれたら素晴らしいと思っています。

その日が来たら,みんなが手に入れたその力を合わせて,思いきりキャンプファイヤーを盛り上げましょう。息子を連れて,私も参加したいと思っています。

蛇足

*ボーイ隊以上のスカウト向け。もちろん,背伸びしたいビーバースカウトとカブスカウトも大歓迎。

新型コロナウイルスの影響で4月はほぼ活動が無く,さくらの発行が危機であるということで,久しぶりに長い原稿を書かせてもらった。ここ1年ほどさくらに書けていなかったのは,2019年前後から仕事がグッと忙しくなったことが原因である(実はもう1つ,iPadに装着して使っていたSmart Keyboardが壊れてしまって,新幹線通勤中に書けなくなってしまったことも大きい)。35歳前後というのは,プライベート・仕事ともに色々と降りかかってくる年齢だ(村上春樹の「35歳問題」と言えば,ピンとくる人がいるかもしれない)。そんなときに突然2ヶ月間の休暇(あるいはもっと)が発生したものだから,戸惑っている。「悪いことばかりではない」と思うしかないだろう。この原稿だってそれで書けた。

今回のさくらには,おそらく僕の文章しか載らないということなので(*追記:そう思っていたが,横山団委員長と草嶋BVS隊長の文章も載ることが直前に分かった。しかし,以下の考え方を変える必要はないだろう),なるべく低年齢スカウトでも読めるように書いた。普段はビーバー隊からベンチャー隊までの文章が載っているので,それを「保険」にして,ローバー隊のはむしろ「子ども向けにしない方が良い」という方針でやってきたけれども,今回はそうはいかない。依頼元のYさんにも,「くれぐれも感染症の専門家やあるいは経済学者が言いそうな、専門的で難しい内容は避けて下さい」と言われてしまった。

実は今回の依頼をされた直後,ビーバーからローバーまで5段階の原稿を用意して,徐々に難しくしていくようなことも考えた(ナイチンゲールの,戦場での看護婦としての姿と,大好きな数学を実践に応用した統計学者としての姿と,50年間ベッドの上で大量の文章を書いた物書きとしての姿を,このコロナ禍に絡めるというネタで)。そう考えたのは,なんとか専門知を文章に入れ込みつつ,さくらを成立させられないかと考えたからだ。Yさんの心配はもっともだ。けれども僕は「読み手の読解力に合わせて,過剰にサービスする文章だらけになる」ことをあまり良く思っていない。もちろん子どもにとってどのような文章が相応しいのか,それは当然考えるべきだし,今回の原稿もそう思って真摯に書いた。B-Pも,そのような観点でレベル毎に文章を書き分けることができる名文家だった。でも,例えば小学3年生が自分には難しすぎる文章に触れて,内容は分からないなりに影響を受けることはある。それに,そういう難解な文章を論理だけを頼りに1行1行追うことに喜びを感じる奇矯な奴だっているかもしれない。ただ,2日しか書く時間がなかったので,そんな複雑なことは出来なかった。

その代わりと言ってはなんだけれども,本文中で書いた「これまでと違った何かを始めてみる」ときのお勧めとして,特にボーイ隊以上のスカウトに(そしてもちろん背伸びしたいビーバー・カブのスカウトにも)「文章を書くことに徹底的に向き合う」ことを提案したい。良い文章を書く方法を教える本や情報は沢山ある(例えば木下是雄『理科系の作文技術』は定番。他に今だと,Google検索で「千葉雅也 文章」でヒットする情報なり本なりを薦める。ただしこれらはボーイ隊のスカウトでも難しいと思うので,その場合にはまずは自分の力に見合った本を探すことが必要)。それらを読むのもいいし,あるいは両親が仕事などで作成している文章がいかにして「大人の仕事の世界で通用する文章」になっているか,そして逆にどういう文章だと通用しないか,真剣に分析して考えてみるのも良いと思う。

僕も実践している方法を1つだけ言えば,「とにかく最初(第1稿)は,文法が変でも句読点がおかしくてもいいから,とにかく思いつくままに素早く粗く書き殴る(内容が稚拙で量が少なくてもいい)。そしてその後の推敲の時間をできるだけ長くとる」のが有効だ。極端に言えば,最初に内容をざっと書くことよりも,その後の推敲の方が文章を書く上で本質的な作業だ,と思うぐらいで丁度いいかもしれない。そしてこれが大事なのだけれども,「推敲する時に,『てにをはの選択』や『語順の入れ替え』や『句読点の調整』をやればやるほど文章がどんどん良くなっていくのを,ニヤニヤしながら楽しむ」ようになれたらしめたもの。読書感想文が嫌で嫌でしょうがないスカウトは「そんなことあるわけない」と思うかもしれないが,この推敲の面白さというのは確かにあって,それが理解できたら書くことが楽しくなる上に今後もずっと強力な武器になる。

文章を手本にして勉強するなら絶対に名文を参考にした方が良いのだが,せっかく読んでくれているので,今回の僕の駄文から2つ推敲の例を出そう。1つ目は本文の真ん中あたり,「キャンプファイヤーが楽しいから自分が楽しいのではなく,自分が楽しもうと思っているからこそキャンプファイヤーが楽しくなる」という文章。僕は第1稿では,最終稿と同じくこの文章の最後をキャンプファイヤー「が」楽しくなる,としていた。しかし途中で一旦キャンプファイヤー「は」に直している。結局は元に戻したので,「が」→「は」→「が」と変遷したことになる。その迷いと最終的な選択の理由が分かるだろうか? 各々考えてほしい(「が」と「は」は,助詞の選択の中でも特に難しい)。もう1つは本文の最後,「息子を連れて,私も参加したいと思っています」だ。この「息子を連れて」の部分を、「?才の息子を連れて」あるいは「X才の息子を連れて」にしようかどうか,10分ほど楽しく悩んだ。1つ目の例と違って,こちらの選択は文法的にはどれでも構わない。気にしているのは「文学的効果」だ。最終的には「?才」や「X才」は説明的すぎてダサいと判断した(こうやってネタバレするのが最も文学的効果を削ぐのだけれども,今回は敢えてやっている)。以上,拙い例だったかもしれないが,「そんな細かいところで悩んで,しかもそれを楽しんでいるのか」と少しでも驚いて貰えればOKだ。

最後に,なぜこんなに文章を書くことや,専門知の入った文章を頑張って読むことに僕が熱い想いを持っているのかを説明する。それは,とても凡庸な言い方になるが,簡単に言えば「読解力の低下への危機感」からだ。

ここ10年~20年,「easy革命」とでも呼ぶべき事態が進行している。会社でのプレゼンでも,ニュース記事でも,とにかく可読性を最優先にして,分かりやすく,短く,ためになる情報が量産されている。その革命によるeasy化技術の発展は凄いもので,僕が好きな哲学の古典なんかも「要はこういうことだよ」という形で続々とスマートな解説が与えられている。誤解してほしくはないのだけれども,このeasy革命は基本的にとても良いことだと僕も思っている。当たり前だ。簡単かつ短時間で多くの知識が手に入るのだから,人はさらにその先を自分の頭で考える余裕を持てる。いいことに決まっている。

ただ,それだけではこぼれ落ちるものがある。別に僕に限らず,同じようなことを言っている人は多い。それは,プレゼンだったら「理解すること」ではなく「理解した気分を味わえること」が優先される弊害を生み,文章だったら「明快なメッセージの連鎖としてだけで読まれる」ようになって「文脈や行間が読み取られない」という弊害を生む。でも僕が一番気にしているのは,「専門的な文章や言葉」が全て「難しい」という箱の中に一緒くたに放り込まれて,それらの間の良し悪しに対する判断能力が底無しに低下してしまう危険性だ。「良いか悪いか」の判断が「簡単か難しいか」にすり替わって,「専門的で分かり易いけど間違っている情報」が,「専門的で分かり難いけど正しい情報」を駆逐してしまうことを恐れている。あるいは,専門家の意見が対立している時,「世の中の雰囲気がこっち側だから」とか,「こっちの方が有名大学の教授だから」とか,逆に「有名大学の教授で政権に近いいわゆる御用学者だから」とかいった,内容と無関係な基準で何を信じ何を信じないかを判断するようになってしまうことを危惧する。それに,だからといって両論併記すればいいというわけでも無いのだ。もちろん,現代の専門知はあまりに高度化してしまったので,多くの人はその正否を直接的に判定することなど出来ない。だから専門家と市民を中継する役割が非常に重要であって,それが上手くいかないと民主主義は機能しない。それはそうだけれども,その前提にはやはり,古臭い啓蒙主義と言われようが「市民のリテラシーの底上げ」が必須なのだ。それがeasy革命によって底抜けしてしまうのは非常にまずい。そう思って,ローバー隊では文章添削を活動の1つとしてやってきたのだ。

もうすでにお分かりのように,この懸念はまさに今,新型コロナウイルスの引き起こした状況によって現実になった。本来なら2011年の原発事故の時の「失敗の経験」をもっと活かすべきだったけれども,あまりそうなっていない。実は,以前からさくらに書いている長い文章は,あの原発事故後の状況に対する問題意識に突き動かされている。力量不足かもしれないが,科学的リテラシーも含め,要は「読み書き算盤」をなんとかしたいのだ。そういうわけで,今のコロナ禍の中で「文章を書くことに徹底的に向き合う」のを提案することには,僕の中で強い必然性がある。

書き始めたら,とんでもない蛇足になってしまった。でもきっと,少なくとも「熱量」だけは伝わったと思う。やはりコロナ禍で強いストレスを感じているのかもしれない。あした息子に癒されよう。

RS隊隊長 渡口

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世田谷第5団機関誌「さくら」4・5月合併号が公開されました.

↑2018年りふれっしゅ村鉢ヶ崎@石川県珠洲市で開催した「日本ジャンボリー(17NSJ)」現地報告を公開しました.

↑2017年長野県長者の森で開催した65周年キャンポリー紹介動画を公開しました.

↑2018年新潟県赤倉温泉で開催したBSスキー訓練2018紹介動画を公開しました.

を用意しました.

↑2012年山梨県四尾連湖で開催した60周年キャンポリー紹介動画を公開しました.

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